日記のようなもの
ああ、またか。数秒のあいだ、わたしは悲劇の主人公に浸った。
昼休みにひと息ついていると、管理者がそそっと横に座った。
「先週、Aさんのポート針を差し替えたとき、いつもと違う痛みを感じたんだって。刺し方も痛かったって。そのことは伝えておこうと思ったけど、だから来て欲しくないってわけじゃないって言ってた」
不慣れなわたしのやり方がまずかったのか。
「そうでしたか」
その時、言ってくれればいいのに、と思いながらため息が出た。
「でも」
と、管理者は続ける。
「娘さんが『母はそう言うけれど、練習台にされるこっちの気持ちも分かって欲しい』って言っていたの。そういうことだから、Aさんの針交換は、やめておきましょう。針交換以外の、入浴介助だけの時とかに訪問お願いするね」
そんな訪問、わたしの心がいじけてしまう。入浴だけといっても、わたしが来たら、きっと不安になるだろう。だいたい、予定外に針交換をすることだってある。もう、Aさんのお宅はいいや。
暗に訪問を断られた利用者さんから、再び信頼を取り戻す意欲は湧かなかった。
数ヶ月前にもおなじようなことがあった。
初めて訪問した人工肛門の利用者さん。ストマの形がとても変わっていた。ベテランスタッフと一緒だったけど、翌日、わたしたちが貼り替えたパウチから、お通じが盛大に漏れてしまったと報告が来て、出禁になった。慣れている人を寄越して欲しいと言われたようだった。
今は新卒で訪問看護に来る人もいるのだから、大丈夫。
そう言われて転職してみたけれど、大丈夫じゃなかった。
針の差し替えも、パウチの交換も、わたしが経験値を上げる機会はあまり巡ってこない。その機会は、すでにできる人の訪問に回っていくからだ。
それでは困ると、頼んで処置のある利用者さんに行かせてもらっても、『練習台』にして不快な思いをさせてしまう。
最初からできる人なんていないのに。そう思っているのはわたしだけだ。
利用者さんにとって、看護師は完全な存在なのだ。病院ではなくて、家に来るのだから、不慣れな看護師になんて来てほしくないだろう。
わたしが受ける側なら、きっとそう思う。だから、わたしは希望を取り下げる。
できる人には、機会がどんどんやってくる。そして、経験値を上げてゆく。わたしのような、技術も経験も浅い者には、それがない。
新しいこと、できることをひろげる気は枯れている。
ほんの少しの、今、できることをあたためて、深めていくことしか、わたしにはできない。
凡そ持てる者は与へられて益々豊かになり、持たぬ者はその持てるものをも取り去られん。
だれでも持っている人は与えられてますます豊かになり、持っていない人は持っているものまでも取り上げられるであろう。
もう、降りました。
