インド神話の根底には、宇宙が周期的に生成・持続・破壊されるという時間観がある。創造神ブラフマー、維持神ヴィシュヌ、破壊神シヴァは、対立する存在ではなく、宇宙プロセスの異なる相を担う同一原理の顕れである。世界は一度きりではなく、無数の宇宙周期(カルパ)の中で現れては消えていく。
この循環的宇宙観において、世界は重く固定された現実ではない。『マーヤー(幻影)』という概念は、世界が存在しないという意味ではなく、絶対的実在ではないという洞察を示している。現象世界は夢のように立ち上がり、意味と苦を生みながらも、最終的には超えられうる。
ヴィシュヌの化身(アヴァターラ)神話は、神が世界から超然としているのではなく、危機のたびに世界へ降り立つという構造を描く。ラーマやクリシュナは、秩序を回復する存在であると同時に、愛や遊戯、裏切りや葛藤を引き受ける、きわめて人間的な神として語られる。
シヴァは破壊の神でありながら、最も深い瞑想者でもある。彼の舞踏(タンダヴァ)は、宇宙の崩壊と再生を同時に表現する象徴であり、静寂と激動が一つの運動として結ばれている。破壊は終わりではなく、次の生成への通路である。
インド神話における人間の課題は、単に善く生きることではなく、輪廻(サンサーラ)の構造を見抜くことである。行為(カルマ)は世界を織り上げる力であると同時に、個を縛る鎖でもある。物語は、世界に深く関与しながら、そこに囚われきらない可能性を示し続ける。
この世界像において、解脱(モークシャ)は世界否定ではない。世界を夢として理解したうえで、なお生を生きるという逆説的な自由である。神話は、参与と離脱、愛と超越、責任と自由が同時に成立する地平を開いている。
インド神話は、秩序を固定するエジプトとも、悲劇を引き受けるギリシャとも、境界を揺らすケルトとも異なる。ここでは、世界そのものが戯れ(リーラ)として立ち上がり、意味と苦を含みながらも、最終的には透過されうるものとして描かれている。