縄文の世界像では、人は森と海のあいだを往還する〈通路〉のような存在であった。山には獣と木霊が宿り、海には魚と潮のリズムがある。その循環に参与することが生であり、時間は直線ではなく層として重なっていた。貝塚や土器の文様は、命の往来と季節の反復を記憶する〈時間のうず〉であり、一万年に及ぶ蓄積は現在の列島的身体感覚の深層に沈殿している。
縄文的感受性において、自然は外部の環境ではなく、身体の延長であった。森は体内の森と響き合い、焚き火の煙、土器の匂い、狩りの緊張、海風の冷たさが自己と混ざり合う。輪を囲んで語らう集団の関係性は、のちの稲作社会における協働や〈和〉の感覚の母体ともなり、共同性の原型を形づくっていった。
アイヌの世界像では、山、川、動物、火、熊に至るまでが〈カムイ〉として人格を持つ。人は一方的に恵みを受け取る存在ではなく、儀礼を通じて贈与を返し、関係を循環させる存在である。〈イヨマンテ(熊送り)〉に象徴されるように、命を奪う行為は断絶ではなく往還として理解され、人間と自然、可視と不可視の境界はつねに行き来可能な〈ゆらぎの帯〉として保たれてきた。
琉球弧の世界像では、海のかなたに〈ニライカナイ〉と呼ばれる異界が広がり、そこから豊穣や生命力、芸能がもたらされると考えられてきた。浜辺や岬、御嶽(ウタキ)は異界への通路であり、ノロやユタはその窓を媒介する存在である。祭祀や歌は、共同体が海と宇宙のリズムに再び同調するための往還の技法であった。
列島各地に続く巫女・イタコ・神子の系譜は、個人の問題解決を超えて、村や共同体全体の歪みを調整する役割を担ってきた。病や不作、争いは世界との関係が乱れた兆候として読まれ、シャーマニックなトランスは、自我中心の認識を離れて〈場の意識〉へ接続する身体技法として働いていた。
四方を海に囲まれた列島には、アマ(海女)、家舟の民、交易民など、海を〈道〉として生きる人々が存在してきた。潮目や風、星を読む感覚は、単なる航海技術ではなく、世界のリズムに身を委ねる感受性の鍛錬であり、定住と移動のあいだを往還する文化層を形成している。
稲作以降も、列島の祭礼には縄文的感覚が沈殿している。田植えや収穫祭、盆踊り、正月行事は、人と土地と先祖を結び直すためのリズム装置であり、ハレとケの往還によって世界との関係を再構成する。そこでは、世界は外部にあるものではなく、自分自身と同じ循環の中で呼吸する存在として経験され続けてきた。