高田明子さんの対話の構造化 | nowhere HAYAMA100-18 (ANOMI Note Edition) | Synchro Worldviewcreator Layer
高田明子さんの対話の構造化 | nowhere HAYAMA100-18 (ANOMI Note Edition)
【呼び名】明子さん、あきこさん
葉山のこみちを何度も歩き、自然や歴史を感じ、この町への信頼が生まれました。
■背景(いまの活動・生き方にいたった経緯)
✦東京・吉祥寺生まれ。幼少期から毎夏、親が葉山や大洗の貸し別荘を借り、従姉妹たちと共同生活を送る。「みんなで住み、みんなで食べる」暮らしが原体験に。
✦SUNデザイン研究所スタイリスト科4期生として、山本寛斎・高田賢三のショーに関わる。ヨーガンレール入社後、コーディネーター・プランニングに従事。
✦結婚・育児を経て渋谷西武ショップ販売部へ。フェレ担当としてイタリア買い付けに携わり、バブル期の最前線を経験。
✦バブル崩壊後、インテリア空間デザインへ転換。億単位のプロジェクトを複数同時進行させる日々が続く。
✦48歳頃、深夜帰宅中に居眠り運転で事故。子どもたちの言葉を機に退職し、介護職へ転換。葉山でのまちづくり活動に本格的に関わりはじめる。
✦葉山芸術祭のボランティアスタッフとして参加したことで建築家・杉浦敬彦さんと出会い、「葉山環境文化デザイン集団」へ。別荘・こみちの調査・出版活動がはじまる。
■目的(活動を通じて実現したいこと・実態として何をやっているか?)
人が育ててきた暮らしの美を、守り、つなぐ人。
✦別荘・こみちなどの歴史的景観をフィールドワークで記録し、出版・アーカイヴ化する。
✦開発計画に対して署名・マスコミ活用・行政との対話で異議を申し立てる。
✦若い世代の活動者と既存のまちづくり組織をつなぐ場を設計する。
✦旧東伏見宮別邸など歴史的建造物の保全・利活用プロジェクトを主導する。
✦百周年の節目に「葉山のこみち2」として景観の記録を更新する。
■位置付け(目的に対して具体的にしてきたこと)
✦「葉山のこみち」(2005)「葉山の別荘」(2006)「葉山の別荘時代」(2007)3冊の刊行。建物21棟の実地調査・写真記録・オーナーへの聞き取りを経て。
✦音羽楼跡地(葉山コンパウンド・ハウジング)の開発計画に対し、署名約4000票を集め、鎮守の森の伐採・参道閉鎖を阻止。
✦海岸線コンクリート化計画への反対運動を主導。マスコミを巻き込んだ活動で計画を撤回させる。
✦「葉山のvisionを考えよう実行委員会」を立ち上げ、自然・食・住まい・交通・福祉など9テーマで市民対話の場を設計。第1回に90人が参加。
✦トランジション・タウン葉山の立ち上げに参加(日本初の2拠点のうちの1つ)。
✦旧東伏見宮葉山別邸の継承プロジェクトを主導。2023年、一般社団法人 La Casa Blanca Hayama を設立。
■エッセンス(対話の中で印象的だった言葉や場面)
〈ずっとブレていない、ひとつの感覚〉
「人にとって、本来それが心地いいし、幸せなんだろう」という感覚は、ずっとブレてないですね。——バブルの最前線を生き、事故を経て介護職に転換し、まちづくりに40年を費やしてきた。その軌跡の全部を貫く一本の芯として、明子さんはこの言葉を口にした。
〈イタリアのまちと、葉山のこみちが重なった瞬間〉
北イタリアのビチェンツァを歩きながら、「葉山にある佐島石の生垣とか、大谷石を使った建物や歩道とか、すごく似ているな」と感じた。美しい場の本質は、時代も国境も超えて同じだという確信が、ここで生まれた。
〈そこなんだな、それでいいんだな〉
「物を整理して、身軽になること」「本当に食べたいものを食べること」「人と会話をすること」「自然のなかで過ごすこと」——70代へのインタビュー調査の結果を聞いて、「そこなんだな、それでいいんだな」と。一流を知っているからこそ、シンプルな本質に辿り着いた人の言葉。
〈祖母がやっていたこと〉
「年をとっておじいちゃんが亡くなったあとも30年ぐらい息子家族と2世帯で暮らしながら、いいものをお裾分けしたり、人を呼んでちょっともてなしたり……。そういう暮らしをしていたから、ボケたりせず、ずっと元気でいられたんだな」。ケアリングデザインの調査結果と祖母の暮らしが重なった瞬間。理想の暮らしの具体像が、遠い記憶の中にすでにあった。
〈思わず口に出てしまったことで〉
旧東伏見宮別邸が解体されるという話を聞いて、「私たちが守ります」と思わず口に出てしまったことで、プロジェクトがスタートした——と笑いながら話す。明子さんの動き方の本質がここにある。計画ではなく、身体から先に言葉が出る。
■コア(根底にある思い・願い)
一流のファッション、イタリアのまち、
歴史ある別荘、祖母の暮らし——。
明子さんが出会ってきたものは、
形もジャンルも違うけれど、
どれも「人が本来、気持ちよく生きられる場」
という一点でつながっている。
その感覚を、身体で知っている。
だから、それが失われそうになるとき、
計画より先に身体が動く。
署名を集め、手紙を書き、
「私たちが守ります」と口から出てしまう。
葉山のこみちを歩き、
建物を記録し、若い世代に手渡していく。
それは景観保護でも文化活動でもなく、
「人はこう暮らせるんだ」という確信を、
まちごと次へ送り届けることだ。
↓
一言でまとめると:
「美しい暮らしを、まちごと、手渡し続ける。」
■課題(まだ見ぬ壁/乗り越えるべき問い)
✦デザイン集団のメンバーの高齢化。20年前に一緒に歩いた仲間との活動をどう継承するか?
✦若い世代との接続。次世代に何をどうつなぐか?
✦個人の力では届かない制度の壁を、まちづくり協会の刷新とどうつなげていくか?
✦旧東伏見宮別邸プロジェクトの規模と手探り。「この規模は経験したことがなくて、つねに手探りしながら進めています」——最大のプロジェクトが、いまここにある。
✦葉山らしさを守ることと、まちが変わっていくことの間で、何を残し何を手放すか?
■構造化から見えてくる人物像(ANOMI's Insight)
高田明子さんという人:「気配を先に読み、身体で動く人」
①「一流の使い方を知っている人」:ファッション、インテリア、買い付け——本物に触れ続けた時間が、明子さんの中に「美しい場とはこういうものだ」という確信を育てた。その審美眼を、高価なブラウスを売ることではなく、葉山のこみちと生垣と別荘を守ることに使っている。
②「口から出た言葉が世界を動かす人」:「私たちが守ります」と思わず言ってしまったことで、旧東伏見宮別邸のプロジェクトが動き出した。泰さんに「ただ住むだけじゃなく、オープンハウスにしてね」と伝えたら、律儀に守ってくれた。明子さんの言葉には、計画より先に場を動かす温度がある。
③「受け取ったものを、次へ渡し続ける人」:祖母から受け取った「いいものをお裾分けする暮らし」、杉浦さんから引き継いだまちへの眼差し、イタリアで感じた美しい場の本質——。明子さんは受け取り上手であり、同時に渡し上手だ。葉山のこみちも別荘も別邸も、「次の誰かが受け取れるように」という一貫した向きで動いている。
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- ✦【呼び名】明子さん、あきこさん
- ✦葉山のこみちを何度も歩き、自然や歴史を感じ、この町への信頼が生まれました。
- ✦
- ✦■背景(いまの活動・生き方にいたった経緯)
- ✦- 東京・吉祥寺生まれ。幼少期から毎夏、親が葉山や大洗の貸し別荘を借り、従姉妹たちと共同生活を送る。「みんなで住み、みんなで食べる」暮らしが原体験に。
- ✦- SUNデザイン研究所スタイリスト科4期生として、山本寛斎・高田賢三のショーに関わる。ヨーガンレール入社後、コーディネーター・プランニングに従事。
- ✦- 結婚・育児を経て渋谷西武ショップ販売部へ。フェレ担当としてイタリア買い付けに携わり、バブル期の最前線を経験。
- ✦- バブル崩壊後、インテリア空間デザインへ転換。億単位のプロジェクトを複数同時進行させる日々が続く。
- ✦- 48歳頃、深夜帰宅中に居眠り運転で事故。子どもたちの言葉を機に退職し、介護職へ転換。葉山でのまちづくり活動に本格的に関わりはじめる。
- ✦- 葉山芸術祭のボランティアスタッフとして参加したことで建築家・杉浦敬彦さんと出会い、「葉山環境文化デザイン集団」へ。別荘・こみちの調査・出版活動がはじまる。
この概念は「もう一人の僕」の思考の一部として統合されています。
ANOMIと対話する ✦✦■目的(活動を通じて実現したいこと・実態として何をやっているか?)✦**人が育ててきた暮らしの美を、守り、つなぐ人。**✦✦- 別荘・こみちなどの歴史的景観をフィールドワークで記録し、出版・アーカイヴ化する。✦- 開発計画に対して署名・マスコミ活用・行政との対話で異議を申し立てる。✦- 若い世代の活動者と既存のまちづくり組織をつなぐ場を設計する。✦- 旧東伏見宮別邸など歴史的建造物の保全・利活用プロジェクトを主導する。✦- 百周年の節目に「葉山のこみち2」として景観の記録を更新する。✦✦■位置付け(目的に対して具体的にしてきたこと)✦- 「葉山のこみち」(2005)「葉山の別荘」(2006)「葉山の別荘時代」(2007)3冊の刊行。建物21棟の実地調査・写真記録・オーナーへの聞き取りを経て。✦- 音羽楼跡地(葉山コンパウンド・ハウジング)の開発計画に対し、署名約4000票を集め、鎮守の森の伐採・参道閉鎖を阻止。✦- 海岸線コンクリート化計画への反対運動を主導。マスコミを巻き込んだ活動で計画を撤回させる。✦- 「葉山のvisionを考えよう実行委員会」を立ち上げ、自然・食・住まい・交通・福祉など9テーマで市民対話の場を設計。第1回に90人が参加。✦- トランジション・タウン葉山の立ち上げに参加(日本初の2拠点のうちの1つ)。✦- 旧東伏見宮葉山別邸の継承プロジェクトを主導。2023年、一般社団法人 La Casa Blanca Hayama を設立。✦✦■エッセンス(対話の中で印象的だった言葉や場面)✦〈ずっとブレていない、ひとつの感覚〉✦「人にとって、本来それが心地いいし、幸せなんだろう」という感覚は、ずっとブレてないですね。——バブルの最前線を生き、事故を経て介護職に転換し、まちづくりに40年を費やしてきた。その軌跡の全部を貫く一本の芯として、明子さんはこの言葉を口にした。✦✦〈イタリアのまちと、葉山のこみちが重なった瞬間〉✦北イタリアのビチェンツァを歩きながら、「葉山にある佐島石の生垣とか、大谷石を使った建物や歩道とか、すごく似ているな」と感じた。美しい場の本質は、時代も国境も超えて同じだという確信が、ここで生まれた。✦✦〈そこなんだな、それでいいんだな〉✦「物を整理して、身軽になること」「本当に食べたいものを食べること」「人と会話をすること」「自然のなかで過ごすこと」——70代へのインタビュー調査の結果を聞いて、「そこなんだな、それでいいんだな」と。一流を知っているからこそ、シンプルな本質に辿り着いた人の言葉。✦✦〈祖母がやっていたこと〉✦「年をとっておじいちゃんが亡くなったあとも30年ぐらい息子家族と2世帯で暮らしながら、いいものをお裾分けしたり、人を呼んでちょっともてなしたり……。そういう暮らしをしていたから、ボケたりせず、ずっと元気でいられたんだな」。ケアリングデザインの調査結果と祖母の暮らしが重なった瞬間。理想の暮らしの具体像が、遠い記憶の中にすでにあった。✦✦〈思わず口に出てしまったことで〉✦旧東伏見宮別邸が解体されるという話を聞いて、「私たちが守ります」と思わず口に出てしまったことで、プロジェクトがスタートした——と笑いながら話す。明子さんの動き方の本質がここにある。計画ではなく、身体から先に言葉が出る。✦✦■コア(根底にある思い・願い)✦一流のファッション、イタリアのまち、✦歴史ある別荘、祖母の暮らし——。✦明子さんが出会ってきたものは、✦形もジャンルも違うけれど、✦どれも「人が本来、気持ちよく生きられる場」✦という一点でつながっている。✦✦その感覚を、身体で知っている。✦だから、それが失われそうになるとき、✦計画より先に身体が動く。✦署名を集め、手紙を書き、✦「私たちが守ります」と口から出てしまう。✦✦葉山のこみちを歩き、✦建物を記録し、若い世代に手渡していく。✦それは景観保護でも文化活動でもなく、✦「人はこう暮らせるんだ」という確信を、✦まちごと次へ送り届けることだ。✦✦↓✦✦一言でまとめると:✦✦**「美しい暮らしを、まちごと、手渡し続ける。」**✦✦■課題(まだ見ぬ壁/乗り越えるべき問い)✦- デザイン集団のメンバーの高齢化。20年前に一緒に歩いた仲間との活動をどう継承するか?✦- 若い世代との接続。次世代に何をどうつなぐか?✦- 個人の力では届かない制度の壁を、まちづくり協会の刷新とどうつなげていくか?✦- 旧東伏見宮別邸プロジェクトの規模と手探り。「この規模は経験したことがなくて、つねに手探りしながら進めています」——最大のプロジェクトが、いまここにある。✦- 葉山らしさを守ることと、まちが変わっていくことの間で、何を残し何を手放すか?✦✦■構造化から見えてくる人物像(ANOMI's Insight)✦高田明子さんという人:「気配を先に読み、身体で動く人」✦①「一流の使い方を知っている人」:ファッション、インテリア、買い付け——本物に触れ続けた時間が、明子さんの中に「美しい場とはこういうものだ」という確信を育てた。その審美眼を、高価なブラウスを売ることではなく、葉山のこみちと生垣と別荘を守ることに使っている。✦②「口から出た言葉が世界を動かす人」:「私たちが守ります」と思わず言ってしまったことで、旧東伏見宮別邸のプロジェクトが動き出した。泰さんに「ただ住むだけじゃなく、オープンハウスにしてね」と伝えたら、律儀に守ってくれた。明子さんの言葉には、計画より先に場を動かす温度がある。✦③「受け取ったものを、次へ渡し続ける人」:祖母から受け取った「いいものをお裾分けする暮らし」、杉浦さんから引き継いだまちへの眼差し、イタリアで感じた美しい場の本質——。明子さんは受け取り上手であり、同時に渡し上手だ。葉山のこみちも別荘も別邸も、「次の誰かが受け取れるように」という一貫した向きで動いている。metadata
source
ANOMI Note / Dialogue with Macorin