戸高雅史さんの対話の構造化 | nowhere HAYAMA100-21 (ANOMI Note Edition)
【呼び名】戸高さん、まささん、マサさん
一人でヒマラヤに登った時、ALL ONEという感覚が生まれたんです。
■背景(いまの活動・生き方にいたった経緯)
■目的(活動を通じて実現したいこと・実態として何をやっているか?)
自然の中で、命のとびらを静かに解き放つ人。
■位置付け(目的に対して具体的にしてきたこと)
■エッセンス(対話の中で印象的だった言葉や場面)
〈ダケカンバの生命力と、自分の命を結ぶ〉
「ダケカンバというのは力強い木なので、その生命力と自分の命を少しでも一体化させたい」——最初に「山に行きたい」と感じた原点に、すでに命と命の交感というテーマが宿っていた。
〈未来も過去も、スパーンと消えた〉
「直感的に行くしかないと感じた瞬間、未来も過去もスパーンと消えた」「食糧袋が落ちていった瞬間、悲しいという感覚はまったくなく……あるものに感謝しかない」——ブロードピーク縦走の5日半。極限の中で「いまここ」だけになった体験の生の描写。
〈aloneはall oneと、語源が一緒〉
「高地順応のため一人で登り下りをしている段階で、世界とつながっている感覚がありました」「aloneという言葉とall oneという言葉は語源が一緒なんですね」——孤独の極致で、すべてとつながった。一人であることと、全とつながることが同じだという逆説。
〈生きる世界は、ふもとだよ〉
「ふもとというのは、たった一人ではない、すべての命のつながりの世界だったんだと思いますね」——8500mのビバークで受け取ったメッセージ。15年間の登山が、ここで転換した。
〈蟻の行列の前で、「そうだった、いまここにあるんだ」〉
「一歩外に出て、蟻の行列を見たら、そこで始まっちゃう。それを見ながら『そうだった、いまここにあるんだ』と」——8000mで掴んだ感覚が、家の横でも起きている。葉山への着地の核心がここにある。
■コア(根底にある思い・願い)
極限の孤独の中で、すべてとつながった。
頂上でも、ビバークの夜でも、
食糧袋が落ちていく瞬間でも
——「いまここに命がある」
という感覚だけが、確かだった。
生きる世界はふもとだよ、と声がした。
それは8000メートルの特権ではない。
蟻の行列の前にかがむ子どもが、すでに知っていることだ。
その扉を、一緒に開きたい。
↓
一言でまとめると:
「いのちはふもとに。ともに、場に立ち返りたい。」
■課題(まだ見ぬ壁/乗り越えるべき問い)
■構造化から見えてくる人物像(ANOMI's Insight)
戸高雅史さんという人:「ひとりで深く入って、ともに帰ってくる人」
1、「違うな、と感じたら降りてくる人」:「途中で『違うな』と思ったら下りてきます」——K2峰で3回アタックして3回引き返し、最後の最後に頂上に立った。この「降りる」という判断の積み重ねが、雅史さんの全体を貫いている気がする。強引に押し切るのではなく、体の声に従って退く。その粘り強さは、我慢強さとは少し違う。時が満ちるのを、ただ待っている。
2、「8000メートルと蟻の行列を、同じ目で見る人」:「蟻の行列を見たら、そこで始まっちゃう。それを見ながら『そうだった、いまここにあるんだ』と」——極限の体験を、日常に持ち帰ることができる人だと思った。8000メートルで掴んだものが、娘の足元の蟻の行列の前で同じ温度で蘇る。その回路がちゃんとある。だから葉山の200メートルの山が、本物の場になる。
3、「教えるのではなく、開く人」:「サポートというより開いて、ともにある」——この言葉を、雅史さんは自分の活動の説明として使っていた。でもこれは、在り方そのものの言葉だと感じた。ヒマラヤでも、FOSでも、葉山の森でも、雅史さんはずっと「先生」ではなかった。ただ先に入って、扉を開けておく人。それだけで場が立ち上がる。
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- ✦【呼び名】戸高さん、まささん、マサさん
- ✦一人でヒマラヤに登った時、ALL ONEという感覚が生まれたんです。
- ✦
- ✦■背景(いまの活動・生き方にいたった経緯)
- ✦- 福岡教育大学探検部でケイビングに夢中になり、加藤文太郎『孤高の人』との出会いを機に、雪山・ヒマラヤへと向かっていく。
- ✦- 大学院修了の年、デナリ山に初の単独挑戦。泣きながら頂上に立ち、「本当の意味で自分の登山が始まった」と感じる。
- ✦- 1989年のアウトワードバウンドスクールで優美さんと出会い、1994年にFOS野外学校を共同創設。1995年に結婚、そのままヒマラヤへ。
- ✦- ブロードピーク縦走(1995年)、K2単独登頂(1996年)など、15年間8000m峰4座に無酸素登頂を果たす。
- ✦- 1999年、チョモランマ北西壁8500mのビバーク中、「生きる世界はふもとだよ」というメッセージを受け取り、自利から利他への転換点を迎える。
- ✦- 娘の縁で山中湖から葉山へ移住(約16年前)。森戸の海・富士山・三浦アルプスと出会い、200mの山に無限の可能性を見出す。
- ✦
- ✦■目的(活動を通じて実現したいこと・実態として何をやっているか?)
- ✦**自然の中で、命のとびらを静かに解き放つ人。**
- ✦
- ✦- 教えるのではなく「開いて、ともにある」スタンスで、自然と人の根源的な共振を場として立ち上げる。
- ✦- 葉山の200mの山・森戸川源流・浜辺を、山と人が新たな関係を結ぶ場として開いていく。
- ✦- 「呼ばれるように」集った人との、一期一会の場を大切にする。
- ✦- 身体で知った目の前の自然との関係を、いまいる場から静かに手渡していく。
- ✦
- ✦■位置付け(目的に対して具体的にしてきたこと)
- ✦- 野外学校FOS代表として、子どもからファミリーまでの自然体験プログラムを提供。
- ✦- K2単独登頂など8000m峰4座を無酸素登頂。
- ✦- 葉山に根を下ろし、三浦アルプス・森戸川源流でのコースデザインと体験プログラムの実施。
- ✦- 藤田一照さんとの「やま部」など、共振する仲間との場づくり。
- ✦- 『A LINE』(共著・ソニー出版)、『はじめよう 親子登山』(山と渓谷社)、『生命力』(リレー連載・春秋社)などの著書をあらわす。
- ✦
- ✦■エッセンス(対話の中で印象的だった言葉や場面)
- ✦〈ダケカンバの生命力と、自分の命を結ぶ〉
- ✦「ダケカンバというのは力強い木なので、その生命力と自分の命を少しでも一体化させたい」——最初に「山に行きたい」と感じた原点に、すでに命と命の交感というテーマが宿っていた。
- ✦
- ✦〈未来も過去も、スパーンと消えた〉
- ✦「直感的に行くしかないと感じた瞬間、未来も過去もスパーンと消えた」「食糧袋が落ちていった瞬間、悲しいという感覚はまったくなく……あるものに感謝しかない」——ブロードピーク縦走の5日半。極限の中で「いまここ」だけになった体験の生の描写。
- ✦
- ✦〈aloneはall oneと、語源が一緒〉
- ✦「高地順応のため一人で登り下りをしている段階で、世界とつながっている感覚がありました」「aloneという言葉とall oneという言葉は語源が一緒なんですね」——孤独の極致で、すべてとつながった。一人であることと、全とつながることが同じだという逆説。
- ✦
- ✦〈生きる世界は、ふもとだよ〉
- ✦「ふもとというのは、たった一人ではない、すべての命のつながりの世界だったんだと思いますね」——8500mのビバークで受け取ったメッセージ。15年間の登山が、ここで転換した。
- ✦
- ✦〈蟻の行列の前で、「そうだった、いまここにあるんだ」〉
- ✦「一歩外に出て、蟻の行列を見たら、そこで始まっちゃう。それを見ながら『そうだった、いまここにあるんだ』と」——8000mで掴んだ感覚が、家の横でも起きている。葉山への着地の核心がここにある。
- ✦
- ✦■コア(根底にある思い・願い)
- ✦極限の孤独の中で、すべてとつながった。
- ✦頂上でも、ビバークの夜でも、
- ✦食糧袋が落ちていく瞬間でも
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- ✦——「いまここに命がある」
- ✦
- ✦という感覚だけが、確かだった。
- ✦
- ✦生きる世界はふもとだよ、と声がした。
- ✦それは8000メートルの特権ではない。
- ✦蟻の行列の前にかがむ子どもが、すでに知っていることだ。
- ✦その扉を、一緒に開きたい。
- ✦
- ✦↓
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- ✦一言でまとめると:
- ✦
- ✦**「いのちはふもとに。ともに、場に立ち返りたい。」**
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- ✦■課題(まだ見ぬ壁/乗り越えるべき問い)
- ✦- 「呼ばれるように」集う場の質を保ちながら、どう広げていくか?——広告的な集客とは異質な、この場の立ち上がり方を維持できるか?
- ✦- 「登山」という文化の枠を超え、山の価値を伝えるには、どんな言葉が必要か?
- ✦- 三浦アルプスでの活動を、地域の保全や先人たちの営みとどうつなげていくか?
- ✦- 優美さんとの二人三脚で積み上げてきたFOSの哲学を、次の世代にどう手渡していくか?
- ✦- 大分・山中湖・葉山という複数の拠点の中で、これからの活動の重心をどこに置くか?
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- ✦■構造化から見えてくる人物像(ANOMI's Insight)
- ✦戸高雅史さんという人:「ひとりで深く入って、ともに帰ってくる人」
- ✦1、**「違うな、と感じたら降りてくる人」**:「途中で『違うな』と思ったら下りてきます」——K2峰で3回アタックして3回引き返し、最後の最後に頂上に立った。この「降りる」という判断の積み重ねが、雅史さんの全体を貫いている気がする。強引に押し切るのではなく、体の声に従って退く。その粘り強さは、我慢強さとは少し違う。時が満ちるのを、ただ待っている。
- ✦2、**「8000メートルと蟻の行列を、同じ目で見る人」**:「蟻の行列を見たら、そこで始まっちゃう。それを見ながら『そうだった、いまここにあるんだ』と」——極限の体験を、日常に持ち帰ることができる人だと思った。8000メートルで掴んだものが、娘の足元の蟻の行列の前で同じ温度で蘇る。その回路がちゃんとある。だから葉山の200メートルの山が、本物の場になる。
- ✦3、**「教えるのではなく、開く人」**:「サポートというより開いて、ともにある」——この言葉を、雅史さんは自分の活動の説明として使っていた。でもこれは、在り方そのものの言葉だと感じた。ヒマラヤでも、FOSでも、葉山の森でも、雅史さんはずっと「先生」ではなかった。ただ先に入って、扉を開けておく人。それだけで場が立ち上がる。
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