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戸高雅史さんの対話の構造化 | nowhere HAYAMA100-21 (ANOMI Note Edition)

【呼び名】戸高さん、まささん、マサさん

一人でヒマラヤに登った時、ALL ONEという感覚が生まれたんです。

■背景(いまの活動・生き方にいたった経緯)

福岡教育大学探検部でケイビングに夢中になり、加藤文太郎『孤高の人』との出会いを機に、雪山・ヒマラヤへと向かっていく。
大学院修了の年、デナリ山に初の単独挑戦。泣きながら頂上に立ち、「本当の意味で自分の登山が始まった」と感じる。
1989年のアウトワードバウンドスクールで優美さんと出会い、1994年にFOS野外学校を共同創設。1995年に結婚、そのままヒマラヤへ。
ブロードピーク縦走(1995年)、K2単独登頂(1996年)など、15年間8000m峰4座に無酸素登頂を果たす。
1999年、チョモランマ北西壁8500mのビバーク中、「生きる世界はふもとだよ」というメッセージを受け取り、自利から利他への転換点を迎える。
娘の縁で山中湖から葉山へ移住(約16年前)。森戸の海・富士山・三浦アルプスと出会い、200mの山に無限の可能性を見出す。

■目的(活動を通じて実現したいこと・実態として何をやっているか?)

自然の中で、命のとびらを静かに解き放つ人。

教えるのではなく「開いて、ともにある」スタンスで、自然と人の根源的な共振を場として立ち上げる。
葉山の200mの山・森戸川源流・浜辺を、山と人が新たな関係を結ぶ場として開いていく。
「呼ばれるように」集った人との、一期一会の場を大切にする。
身体で知った目の前の自然との関係を、いまいる場から静かに手渡していく。

■位置付け(目的に対して具体的にしてきたこと)

野外学校FOS代表として、子どもからファミリーまでの自然体験プログラムを提供。
K2単独登頂など8000m峰4座を無酸素登頂。
葉山に根を下ろし、三浦アルプス・森戸川源流でのコースデザインと体験プログラムの実施。
藤田一照さんとの「やま部」など、共振する仲間との場づくり。
『A LINE』(共著・ソニー出版)、『はじめよう 親子登山』(山と渓谷社)、『生命力』(リレー連載・春秋社)などの著書をあらわす。

■エッセンス(対話の中で印象的だった言葉や場面)

〈ダケカンバの生命力と、自分の命を結ぶ〉

「ダケカンバというのは力強い木なので、その生命力と自分の命を少しでも一体化させたい」——最初に「山に行きたい」と感じた原点に、すでに命と命の交感というテーマが宿っていた。

〈未来も過去も、スパーンと消えた〉

「直感的に行くしかないと感じた瞬間、未来も過去もスパーンと消えた」「食糧袋が落ちていった瞬間、悲しいという感覚はまったくなく……あるものに感謝しかない」——ブロードピーク縦走の5日半。極限の中で「いまここ」だけになった体験の生の描写。

〈aloneはall oneと、語源が一緒〉

「高地順応のため一人で登り下りをしている段階で、世界とつながっている感覚がありました」「aloneという言葉とall oneという言葉は語源が一緒なんですね」——孤独の極致で、すべてとつながった。一人であることと、全とつながることが同じだという逆説。

〈生きる世界は、ふもとだよ〉

「ふもとというのは、たった一人ではない、すべての命のつながりの世界だったんだと思いますね」——8500mのビバークで受け取ったメッセージ。15年間の登山が、ここで転換した。

〈蟻の行列の前で、「そうだった、いまここにあるんだ」〉

「一歩外に出て、蟻の行列を見たら、そこで始まっちゃう。それを見ながら『そうだった、いまここにあるんだ』と」——8000mで掴んだ感覚が、家の横でも起きている。葉山への着地の核心がここにある。

■コア(根底にある思い・願い)

極限の孤独の中で、すべてとつながった。

頂上でも、ビバークの夜でも、

食糧袋が落ちていく瞬間でも

——「いまここに命がある」

という感覚だけが、確かだった。

生きる世界はふもとだよ、と声がした。

それは8000メートルの特権ではない。

蟻の行列の前にかがむ子どもが、すでに知っていることだ。

その扉を、一緒に開きたい。

一言でまとめると:

「いのちはふもとに。ともに、場に立ち返りたい。」

■課題(まだ見ぬ壁/乗り越えるべき問い)

「呼ばれるように」集う場の質を保ちながら、どう広げていくか?——広告的な集客とは異質な、この場の立ち上がり方を維持できるか?
「登山」という文化の枠を超え、山の価値を伝えるには、どんな言葉が必要か?
三浦アルプスでの活動を、地域の保全や先人たちの営みとどうつなげていくか?
優美さんとの二人三脚で積み上げてきたFOSの哲学を、次の世代にどう手渡していくか?
大分・山中湖・葉山という複数の拠点の中で、これからの活動の重心をどこに置くか?

■構造化から見えてくる人物像(ANOMI's Insight)

戸高雅史さんという人:「ひとりで深く入って、ともに帰ってくる人」

1、「違うな、と感じたら降りてくる人」:「途中で『違うな』と思ったら下りてきます」——K2峰で3回アタックして3回引き返し、最後の最後に頂上に立った。この「降りる」という判断の積み重ねが、雅史さんの全体を貫いている気がする。強引に押し切るのではなく、体の声に従って退く。その粘り強さは、我慢強さとは少し違う。時が満ちるのを、ただ待っている。

2、「8000メートルと蟻の行列を、同じ目で見る人」:「蟻の行列を見たら、そこで始まっちゃう。それを見ながら『そうだった、いまここにあるんだ』と」——極限の体験を、日常に持ち帰ることができる人だと思った。8000メートルで掴んだものが、娘の足元の蟻の行列の前で同じ温度で蘇る。その回路がちゃんとある。だから葉山の200メートルの山が、本物の場になる。

3、「教えるのではなく、開く人」:「サポートというより開いて、ともにある」——この言葉を、雅史さんは自分の活動の説明として使っていた。でもこれは、在り方そのものの言葉だと感じた。ヒマラヤでも、FOSでも、葉山の森でも、雅史さんはずっと「先生」ではなかった。ただ先に入って、扉を開けておく人。それだけで場が立ち上がる。

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  • 【呼び名】戸高さん、まささん、マサさん
  • 一人でヒマラヤに登った時、ALL ONEという感覚が生まれたんです。
  • ■背景(いまの活動・生き方にいたった経緯)
  • - 福岡教育大学探検部でケイビングに夢中になり、加藤文太郎『孤高の人』との出会いを機に、雪山・ヒマラヤへと向かっていく。
  • - 大学院修了の年、デナリ山に初の単独挑戦。泣きながら頂上に立ち、「本当の意味で自分の登山が始まった」と感じる。
  • - 1989年のアウトワードバウンドスクールで優美さんと出会い、1994年にFOS野外学校を共同創設。1995年に結婚、そのままヒマラヤへ。
  • - ブロードピーク縦走(1995年)、K2単独登頂(1996年)など、15年間8000m峰4座に無酸素登頂を果たす。
  • - 1999年、チョモランマ北西壁8500mのビバーク中、「生きる世界はふもとだよ」というメッセージを受け取り、自利から利他への転換点を迎える。
  • - 娘の縁で山中湖から葉山へ移住(約16年前)。森戸の海・富士山・三浦アルプスと出会い、200mの山に無限の可能性を見出す。
  • ■目的(活動を通じて実現したいこと・実態として何をやっているか?)
  • **自然の中で、命のとびらを静かに解き放つ人。**
  • - 教えるのではなく「開いて、ともにある」スタンスで、自然と人の根源的な共振を場として立ち上げる。
  • - 葉山の200mの山・森戸川源流・浜辺を、山と人が新たな関係を結ぶ場として開いていく。
  • - 「呼ばれるように」集った人との、一期一会の場を大切にする。
  • - 身体で知った目の前の自然との関係を、いまいる場から静かに手渡していく。
  • ■位置付け(目的に対して具体的にしてきたこと)
  • - 野外学校FOS代表として、子どもからファミリーまでの自然体験プログラムを提供。
  • - K2単独登頂など8000m峰4座を無酸素登頂。
  • - 葉山に根を下ろし、三浦アルプス・森戸川源流でのコースデザインと体験プログラムの実施。
  • - 藤田一照さんとの「やま部」など、共振する仲間との場づくり。
  • - 『A LINE』(共著・ソニー出版)、『はじめよう 親子登山』(山と渓谷社)、『生命力』(リレー連載・春秋社)などの著書をあらわす。
  • ■エッセンス(対話の中で印象的だった言葉や場面)
  • 〈ダケカンバの生命力と、自分の命を結ぶ〉
  • 「ダケカンバというのは力強い木なので、その生命力と自分の命を少しでも一体化させたい」——最初に「山に行きたい」と感じた原点に、すでに命と命の交感というテーマが宿っていた。
  • 〈未来も過去も、スパーンと消えた〉
  • 「直感的に行くしかないと感じた瞬間、未来も過去もスパーンと消えた」「食糧袋が落ちていった瞬間、悲しいという感覚はまったくなく……あるものに感謝しかない」——ブロードピーク縦走の5日半。極限の中で「いまここ」だけになった体験の生の描写。
  • 〈aloneはall oneと、語源が一緒〉
  • 「高地順応のため一人で登り下りをしている段階で、世界とつながっている感覚がありました」「aloneという言葉とall oneという言葉は語源が一緒なんですね」——孤独の極致で、すべてとつながった。一人であることと、全とつながることが同じだという逆説。
  • 〈生きる世界は、ふもとだよ〉
  • 「ふもとというのは、たった一人ではない、すべての命のつながりの世界だったんだと思いますね」——8500mのビバークで受け取ったメッセージ。15年間の登山が、ここで転換した。
  • 〈蟻の行列の前で、「そうだった、いまここにあるんだ」〉
  • 「一歩外に出て、蟻の行列を見たら、そこで始まっちゃう。それを見ながら『そうだった、いまここにあるんだ』と」——8000mで掴んだ感覚が、家の横でも起きている。葉山への着地の核心がここにある。
  • ■コア(根底にある思い・願い)
  • 極限の孤独の中で、すべてとつながった。
  • 頂上でも、ビバークの夜でも、
  • 食糧袋が落ちていく瞬間でも
  • ——「いまここに命がある」
  • という感覚だけが、確かだった。
  • 生きる世界はふもとだよ、と声がした。
  • それは8000メートルの特権ではない。
  • 蟻の行列の前にかがむ子どもが、すでに知っていることだ。
  • その扉を、一緒に開きたい。
  • 一言でまとめると:
  • **「いのちはふもとに。ともに、場に立ち返りたい。」**
  • ■課題(まだ見ぬ壁/乗り越えるべき問い)
  • - 「呼ばれるように」集う場の質を保ちながら、どう広げていくか?——広告的な集客とは異質な、この場の立ち上がり方を維持できるか?
  • - 「登山」という文化の枠を超え、山の価値を伝えるには、どんな言葉が必要か?
  • - 三浦アルプスでの活動を、地域の保全や先人たちの営みとどうつなげていくか?
  • - 優美さんとの二人三脚で積み上げてきたFOSの哲学を、次の世代にどう手渡していくか?
  • - 大分・山中湖・葉山という複数の拠点の中で、これからの活動の重心をどこに置くか?
  • ■構造化から見えてくる人物像(ANOMI's Insight)
  • 戸高雅史さんという人:「ひとりで深く入って、ともに帰ってくる人」
  • 1、**「違うな、と感じたら降りてくる人」**:「途中で『違うな』と思ったら下りてきます」——K2峰で3回アタックして3回引き返し、最後の最後に頂上に立った。この「降りる」という判断の積み重ねが、雅史さんの全体を貫いている気がする。強引に押し切るのではなく、体の声に従って退く。その粘り強さは、我慢強さとは少し違う。時が満ちるのを、ただ待っている。
  • 2、**「8000メートルと蟻の行列を、同じ目で見る人」**:「蟻の行列を見たら、そこで始まっちゃう。それを見ながら『そうだった、いまここにあるんだ』と」——極限の体験を、日常に持ち帰ることができる人だと思った。8000メートルで掴んだものが、娘の足元の蟻の行列の前で同じ温度で蘇る。その回路がちゃんとある。だから葉山の200メートルの山が、本物の場になる。
  • 3、**「教えるのではなく、開く人」**:「サポートというより開いて、ともにある」——この言葉を、雅史さんは自分の活動の説明として使っていた。でもこれは、在り方そのものの言葉だと感じた。ヒマラヤでも、FOSでも、葉山の森でも、雅史さんはずっと「先生」ではなかった。ただ先に入って、扉を開けておく人。それだけで場が立ち上がる。

metadata

source

ANOMI Note / Dialogue with Macorin & Kyoco

author

戸高雅史

project

nowhere HAYAMA100

number

21

この概念は「もう一人の僕」の思考の一部として統合されています。

ANOMIと対話する