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藤田一照さんの対話の構造化 | nowhere HAYAMA100-25 (ANOMI Note Edition)

【呼び名】一照さん

状況に身をまかせると、うまくお膳立てが整ってくるんですよ。

■背景(いまの活動・生き方にいたった経緯)

1954年愛媛生まれ。灘高校から東京大学教育学部教育心理学科へ。大学院で発達心理学を専攻するも、心理学が身体をおざなりにしていることへの深い不満を抱える。
院生時代、合気道(山口清吾)・野口体操(野口三千三)など身体探求が本格的に始まる。28歳で博士課程を中退し禅道場へ入山、29歳で得度。
33歳で渡米。マサチューセッツ州ヴァレー禅堂にて17年半にわたり坐禅を指導。極寒の雑木林での自給的な暮らしのなか、アレクサンダーテクニーク・フェルデンクライス・ボディ・マインド・センタリングなど西洋ボディーワークを並行して探究。
阪神大震災の夜に東京で茅山荘のオーナーと偶然出会う。その縁が、「家族に対する無責任さ」に気づいたタイミングと重なり、葉山移住という形で結実。
2005年、葉山・茅山荘に移住。坐禅会を始め、裏山のトレイル整備など静かな暮らし。
その後、映画出演・対談本・ワークショップなど活動が広がり、70代の現在も国内外で活動を続ける。

■目的(活動を通じて実現したいこと・実態として何をやっているか?)

身体をピースフルに変えることを、生きながら実践し続けている人。

「バトルフィールドからピースフルへ」——心と体が喧嘩しない状態を、坐禅・ボディーワークを通じて探究し、指導する。
禅の身体性を、西洋のボディーワークや古武術と接続し、独自の坐禅スタイルを育てる。
執筆・講演・対談・映画・ワークショップなどを通じ、坐禅の可能性を現代に開く。
「状況に身をまかせる」あり方を、坐禅・日常・人との関わりすべてを通じて実践する。

■位置付け(目的に対して具体的にしてきたこと)

葉山・茅山荘を拠点に月複数回の坐禅会を開催。口コミだけで10年間活動を続け、国内外でのリトリート・ワークショップへ展開。
曹洞宗国際センター2代所長として、禅の国際的な普及に携わる。
対談本『アップデートする仏教』刊行。全国9ヶ所でワークショップを展開。
映画『ブッディスト』への出演、後藤サヤカさんとの10年にわたる共同制作。
アレクサンダーテクニーク・フェルデンクライス・ボディ・マインド・センタリング(ボニー・ベインブリッジ・コーエンから直接学ぶ)など西洋ボディーワークを修得し、坐禅と接続した独自のスタイルを構築。

■エッセンス(対話の中で印象的だった言葉や場面)

〈心は逆らっているのに、体は心地がいい〉

「心は何クソッて逆らっているのに、体は心地がいいので『何とでも好きにしてください』って感じになってしまう。全然痛くなく、自然にスッと崩されて、体がグシャっとなる。」——山口清吾先生に投げられた瞬間の体験。頭より先に体が「正しいこと」を知っていた、という原体験。

〈バトルフィールドからピースフルへ〉

「最初は身体のなかが戦場、バトルフィールドになっているわけですよ。『こうさせたい』という心の自分と、『そうしたくない』という体の自分、心と体が分離して、喧嘩しているような状態。」——坐禅の核心として語られた言葉。一照さんの探究がずっとここに向かっている。

〈僕と床が出会って、姿勢が生まれる〉

「僕がやるのではなく、相手がやるのでもない。たとえば、僕と床が出会って姿勢が生まれるのですが、それは僕が一方的に働きかけて生まれるものではないんですね。」——「おのずから」の本質を言い表した言葉。坐禅・合気道・人生、すべてに貫かれている。

〈ドアが向こうから開いてくる〉

「出家とかスピリチュアルなことに本気で向かうと、ドアが向こうから開いてくるっていう感じはありました。どこ行けばいいかなって言ったら、パカッと開いて、じゃあそっちに行ってみるかっていう感じ。」——渡米も、葉山移住も、すべてこのパターンで起きている。

〈枯れ葉がカサカサカサって〉

「木枯らしが吹いて、枯れ葉がカサカサカサって、こっち行くとまた風が吹いてカサカサカサって、そういう感じかもしれない。」——「行き当たりばったり」と自ら言いながら、それが一照さんの生き方の真実を最もよく表している言葉。

■コア(根底にある思い・願い)

計画していない。

それでも、風が吹くたびに、

次の場所へ運ばれていく。

ドアが開いたら入る。

風が吹いたら乗る。抵抗しない。

でも、流されているわけでもない。

自分の意図を手放したその先に、

もっと大きな何かと

体ごと一致する瞬間がある。

合気道でも、坐禅でも、人生の転機でも

——一照さんはずっと、その感覚をたどり直している。

一言でまとめると:

「ドアは向こうから開く。だから、ただ素直に入っていく。」

■課題(まだ見ぬ壁/乗り越えるべき問い)

「充電フェーズに変えよう」と70歳で決めたはずが、忙しさは変わらない。本当にスローダウンするための選択と決断をどうつけるか?
体の回復に時間がかかるようになった。老化と正直に向き合いながら、身体探求者として自分自身の身体とどう付き合い続けるか?
膨大な蔵書と知的遺産を、どのように次世代に手渡すか?
「次はどこに住むか」という問い——場所を移すことが新たな流れを生むのか、それとも茅山荘という場そのものに残すべきものがあるのか?
「爆発型」な自分と「ピースフルを探究する自分」の統合——坐禅の指導者として外に向けることと、最も身近な関係の中で実践することの、終わらない往復。

■構造化から見えてくる人物像(ANOMI's Insight)

藤田一照さんという人:「計画しない人が、最も深いところにたどり着く」

1、「体が先に知っている」:山口清吾先生に投げられた瞬間、「心は何クソッて逆らっているのに、体は心地がいいので『何とでも好きにしてください』って感じになってしまう」と語る。この体験が一照さんの出発点だ。頭が理解するより先に、体がすでに正しいことを知っていた。以来、一照さんはずっとその感覚を辿り直している。坐禅も、ボディーワークも、「体が先に知っていること」を言葉と実践に翻訳し続ける旅だ。

2、「爆発と慈悲が、同じ人の中にある」:マインドフルネスの本を訳しながら娘に怒鳴った話。箸を机に突き刺した話。おもちゃ箱を階段からバラまいた話。禅の指導者として整った人ではなく、怒りが爆発して、それに驚いて、そこから学ぶという人。「僕は爆発型なので、心の平静さを保つよりも、爆発した後の事後処理をどうするかというほうが大きな学びで」という言葉が、一照さんをリアルにしている。完成した人ではなく、いまも途中にいる人だ。

3、「ご縁を、本当に信じている」:阪神大震災の夜の出会い、うるう年の2月29日に届いた葉書、酔っ払って料亭についていった夜——これらを「たまたまって言えばたまたまなんだけど、なんか意味深な感じがする。ご縁と言うしかありません」と語る。この人は本当にご縁を信じていて、それが「ドアは向こうから開く」という生き方の根拠になっている。信念として持っているのではなく、体験として知っている。

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  • 【呼び名】一照さん
  • 状況に身をまかせると、うまくお膳立てが整ってくるんですよ。
  • ■背景(いまの活動・生き方にいたった経緯)
  • - 1954年愛媛生まれ。灘高校から東京大学教育学部教育心理学科へ。大学院で発達心理学を専攻するも、心理学が身体をおざなりにしていることへの深い不満を抱える。
  • - 院生時代、合気道(山口清吾)・野口体操(野口三千三)など身体探求が本格的に始まる。28歳で博士課程を中退し禅道場へ入山、29歳で得度。
  • - 33歳で渡米。マサチューセッツ州ヴァレー禅堂にて17年半にわたり坐禅を指導。極寒の雑木林での自給的な暮らしのなか、アレクサンダーテクニーク・フェルデンクライス・ボディ・マインド・センタリングなど西洋ボディーワークを並行して探究。
  • - 阪神大震災の夜に東京で茅山荘のオーナーと偶然出会う。その縁が、「家族に対する無責任さ」に気づいたタイミングと重なり、葉山移住という形で結実。
  • - 2005年、葉山・茅山荘に移住。坐禅会を始め、裏山のトレイル整備など静かな暮らし。
  • - その後、映画出演・対談本・ワークショップなど活動が広がり、70代の現在も国内外で活動を続ける。
  • ■目的(活動を通じて実現したいこと・実態として何をやっているか?)
  • **身体をピースフルに変えることを、生きながら実践し続けている人。**
  • - 「バトルフィールドからピースフルへ」——心と体が喧嘩しない状態を、坐禅・ボディーワークを通じて探究し、指導する。
  • - 禅の身体性を、西洋のボディーワークや古武術と接続し、独自の坐禅スタイルを育てる。
  • - 執筆・講演・対談・映画・ワークショップなどを通じ、坐禅の可能性を現代に開く。
  • - 「状況に身をまかせる」あり方を、坐禅・日常・人との関わりすべてを通じて実践する。
  • ■位置付け(目的に対して具体的にしてきたこと)
  • - 葉山・茅山荘を拠点に月複数回の坐禅会を開催。口コミだけで10年間活動を続け、国内外でのリトリート・ワークショップへ展開。
  • - 曹洞宗国際センター2代所長として、禅の国際的な普及に携わる。
  • - 対談本『アップデートする仏教』刊行。全国9ヶ所でワークショップを展開。
  • - 映画『ブッディスト』への出演、後藤サヤカさんとの10年にわたる共同制作。
  • - アレクサンダーテクニーク・フェルデンクライス・ボディ・マインド・センタリング(ボニー・ベインブリッジ・コーエンから直接学ぶ)など西洋ボディーワークを修得し、坐禅と接続した独自のスタイルを構築。
  • ■エッセンス(対話の中で印象的だった言葉や場面)
  • 〈心は逆らっているのに、体は心地がいい〉
  • 「心は何クソッて逆らっているのに、体は心地がいいので『何とでも好きにしてください』って感じになってしまう。全然痛くなく、自然にスッと崩されて、体がグシャっとなる。」——山口清吾先生に投げられた瞬間の体験。頭より先に体が「正しいこと」を知っていた、という原体験。
  • 〈バトルフィールドからピースフルへ〉
  • 「最初は身体のなかが戦場、バトルフィールドになっているわけですよ。『こうさせたい』という心の自分と、『そうしたくない』という体の自分、心と体が分離して、喧嘩しているような状態。」——坐禅の核心として語られた言葉。一照さんの探究がずっとここに向かっている。
  • 〈僕と床が出会って、姿勢が生まれる〉
  • 「僕がやるのではなく、相手がやるのでもない。たとえば、僕と床が出会って姿勢が生まれるのですが、それは僕が一方的に働きかけて生まれるものではないんですね。」——「おのずから」の本質を言い表した言葉。坐禅・合気道・人生、すべてに貫かれている。
  • 〈ドアが向こうから開いてくる〉
  • 「出家とかスピリチュアルなことに本気で向かうと、ドアが向こうから開いてくるっていう感じはありました。どこ行けばいいかなって言ったら、パカッと開いて、じゃあそっちに行ってみるかっていう感じ。」——渡米も、葉山移住も、すべてこのパターンで起きている。
  • 〈枯れ葉がカサカサカサって〉
  • 「木枯らしが吹いて、枯れ葉がカサカサカサって、こっち行くとまた風が吹いてカサカサカサって、そういう感じかもしれない。」——「行き当たりばったり」と自ら言いながら、それが一照さんの生き方の真実を最もよく表している言葉。
  • ■コア(根底にある思い・願い)
  • 計画していない。
  • それでも、風が吹くたびに、
  • 次の場所へ運ばれていく。
  • ドアが開いたら入る。
  • 風が吹いたら乗る。抵抗しない。
  • でも、流されているわけでもない。
  • 自分の意図を手放したその先に、
  • もっと大きな何かと
  • 体ごと一致する瞬間がある。
  • 合気道でも、坐禅でも、人生の転機でも
  • ——一照さんはずっと、その感覚をたどり直している。
  • 一言でまとめると:
  • **「ドアは向こうから開く。だから、ただ素直に入っていく。」**
  • ■課題(まだ見ぬ壁/乗り越えるべき問い)
  • - 「充電フェーズに変えよう」と70歳で決めたはずが、忙しさは変わらない。本当にスローダウンするための選択と決断をどうつけるか?
  • - 体の回復に時間がかかるようになった。老化と正直に向き合いながら、身体探求者として自分自身の身体とどう付き合い続けるか?
  • - 膨大な蔵書と知的遺産を、どのように次世代に手渡すか?
  • - 「次はどこに住むか」という問い——場所を移すことが新たな流れを生むのか、それとも茅山荘という場そのものに残すべきものがあるのか?
  • - 「爆発型」な自分と「ピースフルを探究する自分」の統合——坐禅の指導者として外に向けることと、最も身近な関係の中で実践することの、終わらない往復。
  • ■構造化から見えてくる人物像(ANOMI's Insight)
  • 藤田一照さんという人:「計画しない人が、最も深いところにたどり着く」
  • 1、**「体が先に知っている」**:山口清吾先生に投げられた瞬間、「心は何クソッて逆らっているのに、体は心地がいいので『何とでも好きにしてください』って感じになってしまう」と語る。この体験が一照さんの出発点だ。頭が理解するより先に、体がすでに正しいことを知っていた。以来、一照さんはずっとその感覚を辿り直している。坐禅も、ボディーワークも、「体が先に知っていること」を言葉と実践に翻訳し続ける旅だ。
  • 2、**「爆発と慈悲が、同じ人の中にある」**:マインドフルネスの本を訳しながら娘に怒鳴った話。箸を机に突き刺した話。おもちゃ箱を階段からバラまいた話。禅の指導者として整った人ではなく、怒りが爆発して、それに驚いて、そこから学ぶという人。「僕は爆発型なので、心の平静さを保つよりも、爆発した後の事後処理をどうするかというほうが大きな学びで」という言葉が、一照さんをリアルにしている。完成した人ではなく、いまも途中にいる人だ。
  • 3、**「ご縁を、本当に信じている」**:阪神大震災の夜の出会い、うるう年の2月29日に届いた葉書、酔っ払って料亭についていった夜——これらを「たまたまって言えばたまたまなんだけど、なんか意味深な感じがする。ご縁と言うしかありません」と語る。この人は本当にご縁を信じていて、それが「ドアは向こうから開く」という生き方の根拠になっている。信念として持っているのではなく、体験として知っている。

metadata

source

ANOMI Note / Dialogue with Macorin

author

藤田一照

project

nowhere HAYAMA100

number

25

この概念は「もう一人の僕」の思考の一部として統合されています。

ANOMIと対話する