2017年4月、渋谷に新しく生まれた複合施設「SHIBUYA CAST.」(渋谷キャスト)に、様々な分野のクリエイターが共同生活をする「Cift」(シフト)というコミュニティが生まれました。
レストラン、スーパーマーケット、シェアオフィスなどが入ったビルの13階、19の部屋とキッチンなどのある共有スペースで構成されるフロアに集まったクリエイターは約40人。ルームシェアあり、一人住まいあり、職種もコンサルタント、アーティスト、映画監督、弁護士、ソーシャルヒッピー……兼務も多いので、メンバーの肩書きを合わせると100を超えるとか。しかも、メンバーの多くは多拠点生活を送っているといいます。
このCiftの立ち上げに関わり、コンセプトから運営まで携わってきたのが、今回のインタビューに登場する藤代健介さん。一般公募ではなく、価値観が共有できると思った人に声をかけ、渋谷という先端都市の「ど真ん中」で実験的な共同生活を始めた……そんなふうに語られるCiftのコンセプトの背景には、どんなビジョンが秘められているか? 藤代さんに話を聞きました。
住宅棟がいちばん面白い
聞き手:Ciftの活動がスタートしたのはいつからですか?
藤代:母体になっている渋谷キャストは、2017年4月28日にオープンしたんです。4月28日だから、しぶやの日(笑)。Ciftもその日からですね。
聞き手:ああ。キャストの場所は、もともと都営住宅(宮下町アパート)があったんですよね?
藤代:はい。東京都の土地で、しかも70年の定期借地という形になっていたため、都に更地にして返さないといけないことになっていて。5〜6年前にコンペディションをやって、最終的に東急電鉄を中心としたコンソーシアム事業者が決まって、ヒカリエの次の再開発計画に組み込まれたんです。
聞き手:再開発がスタートで。
藤代:東京都から借りた土地で、元都営住宅だったということもあって、(ビルの)上に住宅棟を作らないといけない、クリエイティビティを通じて地域に貢献しなければならないという制約もあって。それで広場を作って、住宅棟を作って……ハード面ではかなり面白いことをやっていますが、コンペ時の提案では、クリエイターが住む住宅ということで通していましたから、それも形にする必要があって、動き出したのが1年くらい前です。
聞き手:それを藤代さんの会社が?
藤代:いえ、一緒に仕事をやっている先輩で、アソボットという会社でクリエイティブディレクターをやっている近藤ナオさんのところに話が来て、僕の会社に声がかかったんです。
最初は住宅棟ではなく、あのビル全体をどう広報していくかという依頼だったのですが、近藤さんは「キャストでいちばん面白いのは住宅棟ですよ」と、仕事を絞り込んでいて。僕が29歳で、近藤さんが39歳。「藤代のまわりの30代前後に声をかけて、住まわせたら面白いんじゃないの?」というあたりが始まりでしたね。
聞き手:最初は仕事として引き受けた感じだったんですね。
藤代:すごく仕事っぽかったですね。僕としては、東京中の面白いクリエイターとつながれるきっかけになるかなと思って。入り口は、ちょっと他人事みたいなところもありました。
住むべきモデルは「自分」?
聞き手:だんだんスイッチが入っていった?
藤代:話をいただいたのが、2016年の5月。そこから9月くらいまでに、まず50人のクリエイターにインタビューしたんです。自分の知り合いからスタートして、知り合いに別の知り合いを紹介してもらう形で東京中のいろいろな業種のクリエイターと出会い、ライフスタイルを探っていきました。
で、最終的に見えたペルソナが僕でしたという話になって(笑)。
聞き手:ああ、住居棟のユーザーモデルが、じつは自分だったと。
藤代:ええ。僕みたいな人が住むべきですと。要するに、30代前後の若者で、コンサルティングやプロデュース系の、時間に縛られない仕事をしていて、金銭的にもある程度の余裕があって、東京のど真ん中に住んでみたいという好奇心があって……そういう人が住むといいんじゃないですかと。
客観として調べていたら、最終的な結論は僕だったので、僕が住みますと。それで、「住んでもいいですよ」ということになったので、では、僕を応援してくださいと提案したんです(笑)。
聞き手:その段階で、すでにCiftのコンセプトはあった?
藤代:いえ、最初はそこまでは考えていなくて。あくまでコンサルだったので、人を住まわせることまではコミットせず、調査レポートを出して、プレゼンしておしまいくらいな気持ちでした。
意識が変容したきっかけ
聞き手:意識が変わっていったのはどのあたりから?
藤代:いろいろあるんですけれど、一番大きかったのは、9月に井口奈保というベルリンに住んでいる友人のところに2週間滞在したんですね。
彼女は、組織心理学という学問をベースに、TEDx TOKYOを立ち上げに関わったり、グラフィック・ファシリテーターという言葉を流行らせたり、いろいろなことをやっていて。
彼女が面白いのは、自分が生きるってこと自体がアートであると定義していて。つまり、井口奈保がただ生きているだけで見返りなしにパトロンシップを募集し、それで生きている女性なんですよ。なんのレポートもしない、感謝祭もしない、それにお金を出す人がいるということをやっていて。
聞き手:なんだか面白いですね。
藤代:いまは人間のことはわかったからって、アフリカに行ってライオンの研究をしているみたいです(笑)。社会的環境にいる人間ではなく、生命としての人間を知るためには、ライオンだと。
聞き手:その奈保さんにインスパイアされたことが大きかった?
藤代:もう少し細かく言うと、イギリスのカンタベリーにジュリアンというコンサルタントの師匠がいるんですが、彼に会いに行って、2週間、コンサルタントとしてグローバルにやっていくにはどうしたらいいか?外に外に……ということを徹底的にやったんです。
そのあと世界経済フォーラムが主催する国際会議に出席するためにスイスのジュネーブに行って、世界の超エリートたちが集まって国連で会議するところに立ち会って、社会のトップ・オブ・トップを見て……で、「自分としてはそこじゃないなあ」という気になったんですね(笑)。
これまでの価値交換とは違うもの
聞き手:そのあとベルリンへ?
藤代:はい。ベルリンに行ったら、奈保が自分の生活だけに集中していて、「ああ、わかる」みたいな気持ちになっちゃって。
まだ漠然としていましたが、Win-Winの価値交換とは違う、何か新しい価値観が自分の中で形成されるんじゃないかと直感したんですね。
聞き手:それにしても不思議な方ですね。
藤代:ええ。僕自身もそうだったんですが、彼女がとくに何をするわけでないのに、一緒にいて人生が変わった人がたくさんいるわけです。すごい金持ちでもないのに毎日楽しそうだし、意識変容という点においては、仕事で出会う人たちよりずっと力を持っていて……。
聞き手:奈保さんと出会ったのは、50人のインタビューが終わった後?
藤代:終わりかけた頃ですね。いま思えば、(スイッチが入ったのは)たぶんそこなのかなと。奈保にその話をしたら、「あれで?」って、とてもびっくりしていましたけれど(笑)。
それと、7月に受けた木戸寛孝さんの「世界創造マップ」というプログラムも大きかったですね。古い価値観、常識から自分を解き放って、新しいビジョン(物語)を作り出し、トランジション(自己変容)するという……。木戸さんのことも前から知っていましたが、こうして濃く関わったことはタイミング的に意味があったと思います。
カッコよく生きる人から学ぶ
聞き手:海外と日本を行ったり来たり、去年はいろいろなことがあったんですね。
藤代:本当にそうでした。正確に言えば、6月にカンタベリー、そのあとにスペイン・バスクのビルバオ、日本に帰ってきて「世界創造マップ」を受けて、また海外に出てジュネーブでダボス会議、そしてベルリン……どれもバラバラではなく、全部が内面で絡んでいます。
聞き手:旅をしながら、それまでの仕事のあり方、生活のあり方をシフトチェンジしようみたいな思いがあった?
藤代:うーん、それは特になかったです。僕の場合、つねに「お前、変わりすぎだろ」と言われてきたので(笑)。
(20代の期間に)デザインコンサルタントとして動いたこともあるし、デザインエンジニアリング、メディアアートも触ったことがあるし、デザイン思考やシステム思考などのメタデザインやリーン・スタートアップも勉強して実践したことはあり……どれも触り程度なので、間違っても体得したなんて言えないですが、何となくは一通りやっているんです。で、つねに変わっている。
聞き手:変化が普通なんですね。そこに共通していたものはある?
藤代:その時その時、そこにいる人がカッコよく生きている感じだったからかなあ。生き様がすごくカッコいいと思って、ある種惚れていたから、そこにコミットしていって、だんだんそうでもないなあとなっていって、離脱していくみたいな(笑)。盲目的になる瞬間というか、自分から依存していく瞬間を、そうした人に出会うたびに感じていて。
聞き手:惚れて離れて?
藤代:離れるというか、客観視できるようになるんです。(盲目的な状態から離れて)その人のことが見えると「ああ、人だよね」となるんですが、それまでは神っぽくなるんです。全知全能じゃないけれど、この人の言っていることは全部正しいんじゃないかという。
それで、その人の環境にすごく入りたくなって、依存して、その人が人だよねと思えると、人間同志のつきあいができようになる。もちろん、ほとんどの人が年上ですから人として尊敬していますが、気持ちの中でそういう変化がある感じですね。
大学時代の覚醒プロセス
聞き手:20代を振り返って、まずどんな人が思い浮かびますか?
藤代:最初のロールモデルは、第一線のメディアアートの会社を経営している「ライゾマティクス」の齋藤精一さんですね。僕のいた大学で講師をされていたんですが、どうやったら齋藤さんみたいになれるかを考えて。うるさいくらいつきまとって、彼から全部盗んでやろうみたいな気持ちでいました。
聞き手:時期的には?
藤代:大学3年の頃ですね。
聞き手:大学は建築学科ですよね。もともとそういう分野が好きだった?
藤代:いや、高校で理系をなんとなく選択してしまって、父親がデザイナーだったこともあって、とりあえず建築学科に入っただけなんですが、入ったらとても面白くて、一気にハマってしまったんです。
聞き手:大学時代に覚醒したんですね。齋藤さんのどこに憧れたんですか?
藤代:建築と言われているものを、つねに問いを立てて再構成していたところでしょうね。課題の時にまず、建築というのは建物じゃなくて哲学だと言われて。要は、建築はアーキテクチャーであってビルディングじゃないということですが、当時の僕にはそれがとても衝撃的で。
齋藤さんは「俺は建築をやっているんだ」といってライゾマティクスの仕事をしているけれど、つくっているものが全然建築じゃないわけですよ。それは何なんだと、アルバイトしに行きたくなったのが最初でした。
世界が一個の村になるために
聞き手:それで弟子入りして……。
藤代:そう、弟子入りです。僕はずっと弟子入りしてきたわけです。
聞き手:そうした出会いのなかで、だんだんカッコいい像ができてきた?
藤代:そうかもれません。それともう一つ言えば、1960年代って、テレビ・メディアなどの影響で世界が大きく変動した時代なんですが、そのなかに「世界を物語として書く」という建築家の運動があって、彼らは一個も建築物を作っていない建築家ということで世界的に認められていていたんです。
僕はあの時代にハマって、大学4年の卒業設計で「世界が一個の村になるために」という21世紀版の物語を、論理的にかつポエティックにつくりきるということをやったんです。それで、自己満足ではあるんですが「やりきったー!」って気分になっちゃって。
聞き手:世界が一個の村になるために。
藤代:要は、アルゴリズミックデザインという手法を使ってGoogleの道路情報を読み込み、村が世界中で自動生成される建築モデルを作ったんです。Ciftの話をものすごくポエムにやっただけなんですけれど、いまも色褪せていないと思っています。
聞き手:ポエムというのは、リアルのもとになる世界観みたいなもの?
藤代:そうですね。で、その世界観をつくるところはやりきった感があったので、次はビジネスだと思って慶應大学大学院のメディアデザイン研究科に入って、外国人が30%いるような環境の中でお金を稼ぐ、社会で価値を出すというリアルなビジネスについて学びました。
そこはやりきったとまでは内的にも思っていないですけど、(ポエムとリアルを)アウフヘーベン(止揚)した形で社会人生活が始まって、そこで「プリズム」という自分の会社を興したんです。
起業、そしてコンサルへ
聞き手:起業は大学院を出て?
藤代:大学院2年の時でしたね。もう少しさかのぼると、大学院に入ったタイミングで、シリコンバレーの「エバーノート」という会社のグローバルコンペディションに受かって、向こうのカンファレンスに出て、その後、シリコンバレーで活躍している日本のすごい人たちをつないでもらって、1ヶ月くらい一人でまわったんです。それで、シリコンバレーが自分なりにわかった気になっちゃって、「俺って、イケるんじゃない?」みたいな気分になり(笑)、仲間を集めてつくったのがプリズムだったんです。
聞き手:どんな内容?
藤代:「デジタルファブリケーションを民主化する」という。3Dプリンターとかレーザーカッターとか、物理空間ではなくオンライン上で、どうやったらみんなが好きなものがつくれるか?みたいなサービスだったんですが、結論から言うと何も始まらなくて。
一年間、企画したり、話し合ったりしたけれどにっちもさっちもいかなくて、スタートアップはやめて、できることからやろうと設計とかコンサルティングの仕事に移行したんです。
「場の設計」をコンサルする
聞き手:コンサルタントって、実際にどんなことをしていたんですか?
藤代:(設計には)空間がありますが、その前の理念、ありたい状態をまずつくる必要があり、僕はそれを「場の設計」と呼んでいます。具体的には、「こういうフレームワークでやっていきましょう」というオリジナルをデザイン・シンキングの考え方をもとに作って、なおかつ、それを本にして伝えるという。流れとしては、リサーチをして、ワークショップをして、コンセプトブックをつくって、関係者に浸透させていって……。
聞き手:そういう仕事があるんだ。
藤代:いや、なかったので、作ったんです(笑)。で、「いまはこうだけど、こういう理想の生活をしたいですよね」という理念の部分を現実の状態へ、最後は細かい要件定義にまで落とし込んでいく。要は、理念から現実までを一個のコンパスにして、そのプロセスを構造化するということをやっていました。
聞き手:それをクライアントに伝えていた?
藤代:そうですね。オフィスをつくる場合でも、ただ建物を作るのではなく、そこでイキイキと働くことを前提にすると、そのオフィスの使い方、人の動き方もプロセスに落として、把握しておいたほうがいいですよね。
たとえば、そこにどうしてコーヒースタンドがあるかとか、設計の意図がわからないと間違った使われ方をするかもしれないじゃないですか、そうした細かいところも含めて。
実際にやっていくなかで、仕事の進め方も洗練化されていき、クライアントも最初は小さい会社だったのが、大手企業の大規模開発などに変わっていって、その流れの中で渋谷の再開発にも関わるようになり……いまにいたる感じです。
エコビレッジを東京のど真ん中に
聞き手:理念を構造化して落とし込むというのは、興味深いですね。
藤代:ビジョンを持った経営者が従業員や関係者にコンパスを提示して、どう意識変容させるか、そのために具体的に何をするか、ですよね。
聞き手:その一方で、いくらやっても企業は変わらない、だから「これからはシンクタンクではなく、ライフタンクだ」とも以前言っていましたね。
藤代:僕の作ったメソッドは今までの自分の歩みが集約されているがゆえにオリジナリティがあって、その部分には自信があります。でも、企業に対するコンサルタントという立場に限界を感じた部分も確かにありました。
聞き手:そういう思いや経験が、いまのCiftにつながっている?
藤代:つながっていると思います。今回のキャストの仕事は、これまで話した「場の設計」とは違いますけれど、本当に世界を変えたいのなら「自分」がするしかないなと思って。
Ciftという場の設計、つまりCiftの理念を自分が作って、そこに関わる人がいて、これからやりたい状態を自分が中心にファシリテートするということ、それを個人、アーティストとしてやるべきなんだなって思って。
聞き手:渋谷再開発というすごく大きなスケールの中に、自分のアーティストとしての感性をうまく入れていく、そのとりかかりとしてCiftがある?
藤代:というか、当初から思っていたかわからないですけれど、たとえばスピリチュアルと経済のように、陰と陽、極(きわ)と極にあるものを動的平衡させることがとても大事だと思うんです。
Ciftの意義についてすごく簡単に説明すると、エコビレッジ(持続可能性を目指した町づくり、コミュニティ)を渋谷のど真ん中につくる、それも東急電鉄と一緒につくるということに価値があると思うんですよ。
極と極をつなぐ「架け橋」
聞き手:それは確かに、極と極かも。
藤代:エコビレッジというのは、とくに311以降、日本の南のほうを中心にどんどん誕生してきた、自分たちの理想の暮らしを追求する自給自足的なコミュニティ……そんなイメージですよね。
一方、渋谷の再開発というと、どれだけ床面積を確保して、どれだけお金をまわすかという資本主義の最高潮で、とくに渋谷の再開発は東京オリンピックにも関わってくる巨大プロジェクトじゃないですか。
そのどちらにもつながりのある自分が、渋谷再開発計画のなかで渋谷キャストという唯一住宅棟のあるビルの上層階のワンフロアに共同で住み、極と極をつなぐアーティストであり、コンサルタントをしている……自分自身のやっていることを客観視した時、「俺、いますごい状況にいるんじゃないか」と思って。
聞き手:カギになる場所にいる感じ?
藤代:時代を移行させるときに、現在と未来の架け橋としてこれ以上のところはないし、28とか29歳で何でこんなことをやっているんだろうと、もはや使命感も感じています。
聞き手:いままでバラバラ、分けて捉えられていたものの融合ですよね。精神的なもの、理念的なものと、現実のガチガチしたビジネス的なものとの。
藤代:ようやくCiftっぽい話になってきたと思いますが(笑)……エコビレッジ的なものは全体という方向性へのベクトルを、資本主義は個別という方向性へのベクトルを持っていると思っていて、要は時代の行き方が逆なんですよね。
もっと言うと、いまの経済って核家族向けサービスは出尽くして、個人向けのスマホとかが出てきて、さらにVRデバイスって頭向け、脳向けですよね?身体性がなくても、市場が成り立つ方向にベクトルが向いていると感じています。
価値観でつながる新しい「家族」
聞き手:市場がどんどん、どんどん部分になっていって。
藤代:ええ。エコビレッジは、一人では限界あるから、みんなで暮らして助け合おう、より全体的な、共同体的な方向に進んでいこうという、現状の市場とはまさに逆のベクトルですよね。
問題は、部分に向かっているものと全体に向かっているものをどうひもづけるか?世界平和という文脈だと、個別よりも全体だと思いますが、それって依存した自立性のない全体ではなく、自立した個人が全体になる……つまり、「部分であり全体である」いうことが新しい世界観だと思うんです。
だから、ヒッピー的な生き方をしている人たちには、東京のようなところで食っていけるのかを問いたいし。
聞き手:そういう意味でのたくましさ、生命力があるか、ということですね。一方の企業に対しては?
藤代:共同体といっても外と断絶されるでもなく、個性が失われるでもなく、かつ、従来の核家族とは違う、血のつながらない「価値観でつながる家族」だと思っています。
企業人が自分たちで実践しながら、それを新しい市場ととらえ、新しい共同体向けのサービスを開発していってほしいなと思いますね。
自分の設計する敷地は「地球」
聞き手:近代化して二元論になって、二つが別れてしまって、一方だけが極端に進んで、取り残されたものを追い求める人もいて、どんどんいま二極化している。で、それぞれ追求しても答えがないところに来ているわけでしょう?だから、つなげないといけない、でなければ世界平和なんて言えないと。
藤代:そうです。東急電鉄が渋谷に対して持つ「エンタテイメントシティシブヤ」といった理念じゃなく、自分自身の理念って何だろうって思ったとき、卒業設計の「世界が一個の村になる」が浮かび上がってきて。大学時代からずっと持っていた全体感が好きなんですよね。
聞き手:全体感というのは?
藤代:卒業設計というと、普通は「逗子に新しいコレクティブハウスをつくる」とか、ちゃんと建物として成立しているコンセプトがほとんどなんですが、僕は「(自分の設計する)敷地は身体か地球のどちらかしかないな」と思って、「地球」を選んだわけです。
その後いろいろなものに影響を受けますが、その時点で「理念を部分化したところに起きたくない」というマインドセットを持っていた気がしますね。自分自身がつねに全体とつながっていたい、部分化されたくないという感覚、思いがベースになっているという。
聞き手:スピリチュアルな世界の「ガイア論」のように、世界観だけがふわーっと広がってしまうと、目の前の現実とはかえってつながりにくくなって、逆に分離が始まってしまう。そのあたりの矛盾をどう収容するかですよね。
藤代:そこは大学の建築学科でいちばん学んでいたところで、最も抽象的なビジョンからダイアグラムにさせて、それをプランに落とし込み……具体的にこの部屋は何平米というところまで一個の物語にして、プレゼンテーションにまとめなければいけないというのが、大学の設計だったわけです。
聞き手:そうやって対極をつなげていった。
藤代:ええ。そういうところで、僕はずっとトレーニングしてきたんです。要はそこだけがすごく好きで、そこから先の構造物がどうで、強度がどうで、設計したものを実際に建てることが建築だと言われても、そのあたりは興味が沸かなかったです。
ですから、ガイア論に自分が向かったとしても、いまこの瞬間の状況の中でそれをどういうふうに具体にするのか?Ciftのような形に落とし込むことができたのは、こうしたトレーニングが効いている気がします。
空間を共有する相互作用
聞き手:そろそろ、Ciftの世界観が確立していく過程について聞いていきたいんですが……具体的に展開しだしたのは、ベルリンから帰ったあたりから?
藤代:そうですね。Ciftの第1回の説明会を9月10日にやっているんです。最初は「シブヤコープ」という名前でしたが、毎月2回、興味を持ってくれたクリエイターを集めては、ひたすら3時間自分の想いを話し続けていました(笑)。
聞き手:反響は?
藤代:説明会で話を聞いてくれたのは、延べ200人くらいですかね?途中から個人単位でも説明しはじめたので、コンセプトを対面で共有した人数は400人くらいになります。
聞き手:この間に自分自身の話が練れて、世界観が構築されていった?
藤代:まさに自分のトレーニングでしたよね。一番話を聞いていたのは自分でしたから(笑)、話せば話すほど自己強化していって、(Ciftの世界観が)できあがっていった気がします。
聞き手:で、オープンしたのは4月28日、記念パーティーが5月26日。実際に皆さんが住み始めたのは?
藤代:僕は5月なかばくらいですね。まだ住んでいない人もいるし、そのあたりは徐々にです。
聞き手:いまはどんな状況?
藤代:予想以上にすべての展開が早いですね。とくに意識変容が早くて、(同じ空間を共有する)相互作用って本当にすごいなと思います。
たとえば僕、結婚したばっかりじゃないですか。その僕の目の前に離婚したばかりの人がいて、話をしていくと立場の違いよりも、もっと奥にある共通項がどんどん見えてきて、「わかるよねえ」って。その議論の先に何があるのか、もはや誰も見えていないという(笑)。
身体感覚との出会い
聞き手:いろいろ外れるわけですね。
藤代:外れる。外れるのは何かと言うと、社会規範なんですよ。それってすごいことで、びっくりするんですけれど、まあ、社会から見たら狂人ですよね。で、狂人は新しい時代を作るパイオニアでもあったりするわけです。その狂人が(社会性を持った)聖人になるには……。
聞き手:なるには?
藤代:たぶん、良心しかないんですよ。社会規範というものがどれだけ人を正常にさせているか、つくづく感じます。社会規範がなくなると、確かに何でも自由にできるようになるかもしれない。でも、自分に嘘をつくと終わるなということも同時に感じます。
聞き手:狂人といっても、ただ好き勝手にやればいいわけではないと。
藤代:はい。そこで初めてわかったのは、身体がとても大事だということです。体の声を聞いて、この世界のリズムに合っていないことは極力やらない。睡眠とか食事とか、身体のことについても意識しないとおかしくなる、それがいまの僕の身体感覚ですね。
良心のルールが社会のルールに
聞き手:思うのは、身体の声が聴けるようになると、規範が規律に変わる。規範という社会的なルールよりも、規律という内なるルール、良心のルールがつくられていくという。
藤代:規範ではなく、規律。いいですね、すごくわかります。
聞き手:日本人は、規律を自然と持つことのできる民族だったわけで、建前と本音を使い分け、規範に対してもほどよくつきあっていたでしょう?
藤代:わかります。そういう感覚って、じつは日本人はグローバル的にも強いんじゃないかと思いますよね。で、僕が思うのは、規範がなくなって規律だけになった先に、その規律に基づいたオリジナルの規範ができる……そこがゴールじゃないか?そこにも結構すぐに向かっていけそうな気がしていて。
聞き手:なるほど、進化した規律が生まれると。まずCiftの中でその雛形がつくられていくイメージ?
藤代:たとえば、僕は取材を受けて話す機会は多いですが、べつにCiftのリーダーというわけじゃない。規範としての、固定概念としてのリーダーは、Ciftにはいないですから。
ただ、みんなが自由になったとしても、誰かが信頼を集めていくことになるわけで、法律はトップダウンですが、みんなの信用を集めてリーダーになるというのは、ボトムアップ。結果的にそういう方向に進むことは見えていて。リーダーは絶対に必要ですから。
聞き手:プリミティブな社会に一回帰って、原始共同体が生まれ、リーダーが生まれ……人類の原体験を渋谷のど真ん中でやっている、それがCiftだと。
藤代:そうそう。ひとりひとり、渋谷という一点にとどまらず、多拠点でやっているところも面白いし、いままでと違うし。
聞き手:みんな、その意味がわかるかな?
藤代:いきなり深い話はできないと思いますが、翻訳して、表現を変えて。企業に対しても伝え方はあると思いますし、相手によって、当然、話し方も変わってきますよね。……なんだか自分の過去の話ばかりで、Ciftの話が薄そうですが、大丈夫ですか?(笑)
聞き手:うちにとっては、世界観が哲学だから。藤代さんの哲学を通して、結果的にCiftのことも伝わる気がします。今日はありがとうございました。
藤代:ありがとうございました。

藤代健介 Kensuke
Fujishiro
1988年、千葉県生まれ。東京理科大建築学科卒。慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科在学中に、空間設計のコンサルティング会社prsm(プリズム)設立。TEDxTokyoの空間デザイン設計、東日本大震災被災地でのコミュニティ設計などに多重的に携わる。「世界経済フォーラム」のGlobal Shapers Communityに選出され、2016年度Tokyo Hubのキュレーターを務める。SHIBUYA CAST.のコレクティブハウスにはコンセプト設計から参画し、2017年5月より自ら創設した「Cift」の住民となる。
取材後記
世界はどこを切り取っても変わらない
藤代健介さんとは、彼が結婚し、逗子に引っ越されたことでゆっくり話す機会が生まれ、僕のなかでふわっと距離が縮まった感覚が残りました。
まだ近所どうしというほどではないけれども、葉山と逗子くらいの距離感になった気がして、インタビューの日は、自転車に乗って逗子まで出かけ、地元の古い喫茶店で話しました。話のあちこちに印象に残った言葉がありますが、いま振り返って浮かんでくるのは、
「(自分の設計する)敷地は身体か地球のどちらかしかないな」と思って、「地球」を選んだわけです。
というくだり。大学の卒業設計に臨むにあたっての決意表明みたいな話を聞きながら、僕は地球ではなく身体だったのかな、とふと思いました。
身体といっても、元素までバラバラにしてしまうと、地球とまったく同じ材料になってしまうわけで、どちらも同じ宇宙の一部。
少しだけ自分の話をすると、僕の場合、大学の農学部で生態系について勉強していくなかで、福岡正信さんの自然農法と出会って目が開き、経営学の先生に「耕しもせず、肥料も農薬も使わないのに、愛媛県の反あたりの収量に匹敵する米が採れているみたいですよ」と遠慮気味に話したりしました。
返ってくる言葉は、うすうすわかっていました。要はレアケースだから一般化できない、経営学で扱える話ではないと。それはそうだと思いつつ、でも、「こうした夢みたいな本当の話をスタンダードにするには何か必要なのだろう?」と問いかけたのを思い出します。
自然回帰の農法と、農薬を使った大規模農業。そこにも当然のように二元論があり、それぞれの世界観はかみ合わないまま、ともすると互いを批判する話ばかり出てきてしまいます。
福岡さんのことを卒論のテーマにしつつ、僕が出した結論は、「田舎だけが自然ではなく、都会も自然の一部である」「生態系は土の中だけでなく、人間関係にもある」というものでした。
二元論をいかに解消するか、対立軸をいかに消すか。それを自分なりに納得いく形にグランディングさせていくため、身体をベースに自己を内側から変容させ、その感覚がどこまで世間に通用するか?現実社会とつながることで試していこう……そんなふうに考えたのです。
建築学科で学んできた藤代さんとは、直接接点のない話かもしれませんが、僕が彼に共感したのは、こうしたバックボーンのなかでよく似た問いかけをしていたからかもしれません。
土壌の生態系を成り立たせているものは、身体の中にも存在し、僕たちはその身体を通し世界を感じ、人と接し、「この件はおそらくこうだろう」という暗黙知的な仮説を持ちます。
こうした言語化できないものと、言語化できるもの、どちらも大事にして、つなげること。
たとえば、免疫細胞がやっていることと、ある人が会社組織の中でやっていることは、俯瞰してみるとほとんど変わりありません。
免疫は炎症物質を出すことで異物を排除しようとしますが、しばしば間違い、自分の身体を傷つけたり、アレルギーを起こしたりします。そして、僕たちもまた人間関係でしばしば過ちを起こし、俗に言う炎上を起こします。
あまり傷つきすぎると病気になりますが、でも、何かの拍子にすべてが同じ原理の中で成り立っているという実感が持てると、不思議な安心感が湧いて、自分を見失いません。
世界はどこを切り取っても変わらない。だからこそ、いま目の前にあるもののなかに、世界を変えていく手がかりがある。答えがある。
理念として思い描いたその先にあるもの。
藤代さんは、多少の炎上(炎症)をものともせずに、これからきっと新しい生態系、コミュニケーションの形をつくり、それを社会のなかで機能させていく、そのパイオニアの一人になっていくのでしょう。
僕自身、異なる世界を歩んできた彼と話すことで、自分の内的確信が裏付けられたような、科学者が一つの論文を書き上げ、仮説の一部が証明できたような気分になれました。
これから先、藤代さんの活動している外的世界とつながることが、内的世界を旅してきた僕自身の二元論の統合につながるのかもしれません。(長沼敬憲)
